「野良は、世間の尺度を信じない。自分の尺度を信じているから」
―― 伊島薫 責任編集『野良』寄稿文より
メディアアーティスト、ナカダリオ。第55回ロッテルダム国際映画祭(IFFR)に選出されたXRプロジェクト『Nox』において、彼女は一人の表現者として、驚くほど多層的な役割を担っている。
物語を紡ぐ「監督・脚本家」であり、仮想空間を構築する「メインエンジニア」であり、「アーティスト」であり、そして作品の核心に立つ「俳優」でもある。かつて初期の新海誠がそうであったように、表現の全工程を自らの手で丁寧に編み上げ、純度の高い個人の宇宙を、一切の妥協なく世界へと提示してみせた。
しかし、緻密なロジックでデジタル世界を設計するその制作の傍らで、彼女はひたすら一人の時間を、もう一つの「線」に捧げてきた。
ナカダリオにとって、白紙に向き合いペンを走らせる時間は、表現というよりも「呼吸」に近い、極めて個人的で切実な対話だ。
「何を描くか決めていない。書きながら勝手にペンが進んでいく」
その言葉が示すのは、作為を排した「純粋な放出」である。
自宅に積み上げられた40冊を超えるスケッチブック。そこに描かれているのは、日々繰り返される「自画像」だ。小学校4年生の頃から彼女を苛んできた、複雑性PTSDという名の抗い難い痛み。そして自分を型にはめようとする社会という檻。
エンジニアとして論理的な世界を構築する一方で、彼女にとってドローイングは、内側に沈殿する感情を外へと逃がし、精神の均衡を保つための「解毒」の記録であった。描き出さなければ、自分が保てない。その集積は、彼女が今日まで歩んできた生存の軌跡そのものなのだ。
美術教育という枠組みに触れることなく育まれた彼女の線は、驚くほど伸びやかで、かつ繊細に尖っている。
下書きも迷いもない一筆書きが生み出すその軌跡は、見る者の神経に直接触れるような生命力を宿す。それはシュルレアリスムの巨匠たちが追い求めた「オートマティスム(自動筆記)」を、彼女が独学で、己を守り抜くための本能として掴み取った結果である。
作為のないその筆致は、見る者に「嘘のない表現」であることを一瞬で分からせてしまう。
「野良は、協調性がないわけではない。自分を曲げないだけである」―― 伊島薫 責任編集『野良』寄稿文より
ナカダリオにとっての芸術は、単なる自己表現ではない。それは、自分という聖域を守り、誰にも邪魔されない自由を確保するための「静かな武装」である。 「周りの目は気にしない。ただ、自分を信じるための確かな証が欲しい」
その強固な意志は、個人的なドローイングの枠を超え、自ら全工程を手掛けたXRプロジェクト『Nox』へと昇華された。自身の抱える複雑性PTSDという深いテーマを、没入型の装置へと落とし込み、個人的な痛みを普遍的な芸術体験へと変換する。
ロッテルダム国際映画祭への選出。それは、一人の「野良」が描き続けた切実な線と、命を削るように構築した仮想空間が、世界という巨大な尺度をも動かした瞬間であった。個人的な救済としての「線」が、XRを通じて、今、世界の中心へと解き放たれる。
ナカダリオ(伊島薫氏撮影)
「喧嘩をしたいわけではない。ただ、自分を曲げないだけ。
敵が多いかもしれない。けれど、それ以上に確かな味方もいる。」―― 伊島薫 責任編集『野良』寄稿文より
「野良」として生きることを選んだナカダリオのペン先は、今日も止まることはない。
誰にも侵されない自由を求めて。彼女は今日も、新しいページに自分だけの「真実」を刻み続ける。
(文:kaoruko)
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